第20回 中世1 武士の台頭


【20−1】 保元の乱『愚管抄』 (実況二15-1 結論18)

 保元元年七月二日鳥羽院ウセサセ給ヒテ後、日本国ノ乱逆ト、云フコトハヲコリテ後、ムサ(武者)ノ世ニナリニケル也。・・・・天慶朱雀院ノ将門ガ合戦モ、頼義ガ貞任ヲセムル十二年ノタヽカイナドイフモ、又隆家ノ帥ノトウイ(刀伊)国ウチシタガフルモ、関東・鎮西ニコソキコユレ、マサシク王臣都ノ内ニカヽル乱ハ鳥羽院ノ御時迄ハナシ。カタジケナクアハレナル事也。

【20−2】 平氏の栄華『平家物語』 (実況二15-2 結論18)

 六波羅殿の御一家の君達といひてしかば、花族も英雄も面をむかへ肩をならぶる人なし。されば入道相国のこじうと平大納言時忠卿ののたまひけるは、「此一門にあらざらむ人は皆人非人なるべし」・・・・日本秋津島はわすかに六十六箇国、平家知行の国卅余箇国、既に半国にこえたり、其外荘園田畠いくらといふ数を知らず、・・・・ 


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