第6回 古代6 地方の反乱と仏教の伝来

【6−1】『日本書紀』 (実況一なし 結論5−1)

 (継体天皇二十一年)夏六月壬申朔甲午、近江毛野臣、衆六万率いて、任那に住かんと欲す。復た新羅に破られし南加羅・喙己呑を越し建て、任那に合わせんが為なり。是に於いて筑紫国造磐井、陰かに叛逆を謀りて、猶予すること年を経たり。・・・・新羅是を知りて密かに貨賄を磐井の所に行りて、毛野臣の軍を防せんことを勧む。・・・・
 二十二年冬十一月甲寅朔甲子、大将軍物部大連麁鹿火、親ら賊帥磐井と筑紫御井郡に交戦・・・・磐井を斬りて果して彊場を定む。


【6−2】『上宮聖徳法王帝説』 (実況一3−8 結論5−2)

 志癸嶋天皇の御代の戊午の年十月十二日、百済国主の明王、始めて仏像経教並びに僧等を度し奉る。勅して蘇我稲目宿大臣に授けて興隆せしむる也。


【6−3】 『日本書紀』 (実況一3−9 結論5−3)

 (欽明天皇十三年)冬十月、百済聖明王・・・・釈迦仏の金銅像一躯、幡蓋若干、経論若干巻を献る。・・・・


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